お通しはいつものあれで。

実録、現実は小説より奇なり

英語を話す、その手前に

 COVID-19によるロックダウン中、私と娘の日課になった朝夕のウォーキングは思いがけず親子で色んな話をする機会になった。日本語でしりとりをしたり、私が受けた英語レッスンの復習を娘がしてくれたり、夜寝る前に読み聞かせた本の話で盛り上がったり。

 そんな時間を過ごす中で私は新たな娘の魅力を知ることもできた。

 

 ある日のこと、娘が歩きながらこう話しかけてきた。

「ママ、英語の勉強、辛かったりする?」

オンラインレッスン前、発音をSiriに認識してもらえるまで繰り返し練習して、それでも先生に自分の英語が通じないってことが続いていた。落ち込んた私の様子を娘は見ていたらしい。

「そうだな。どちらかというとご近所さんやお店の人、病院の先生なんかにとっさに言いたいことが伝わらないことの方がママはつらいから、少しでもそれが解消できるなら、例え今、少しつらくても頑張りたいと思ってるよ。」

と私が答えると娘は

「ふ~ん。」

と言って少し考えたあと、こんなことを話し始めた。

 

「私がね、マレーシアの保育園に入った時、ぜんぜん英語が分らなかったでしょ?ママがトイレやご飯の絵が描いてあるカードを作ってくれて持っていったね。」

 

 娘は5才でマレーシアに来て、すぐにローカルの保育園に入園した。マレーシアの教育についてはインフルエンサーの方々が色々と書かれているが、私の個人的感想で言うと、日本以上にマレーシアはシビアな教育社会である。保育園はどこも日本の小学校並み、いや、それ以上に勉強が中心のハードなスケジュール。朝からお昼過ぎまで算数、英語、マレー語、中国語をみっちり机に座って時間割通りに教わる。

 娘の通っていた保育園では毎日の宿題に加え、毎週英語の暗記テストがあって、園長先生自らひとりひとりにテストを行い、子ども達はマンツーマンで発音をみっちり修正される。その厳しさにある子はテストのある日はストレスで体調を崩し保育園を休み、ある子はストレスから娘の腕を噛んだ。

 今でも娘は言う。あの時の先生たちが厳しく全てを教えてくれなかったら、私は今インターで勉強出来ていないと。

 

「私、保育園に入ったばかりの時、赤ちゃんの時のことをすごく思い出したんだよ。」

「え?」

私が驚いたところに、続けて娘は話しだした。

 

「保育園に入ってすぐくらいからかな?英語が身体に入ってこようとするとその言葉を日本語で覚えた赤ちゃんの時の記憶がすごい頭の中にスライドみたいに、なんていうか記憶のカードが場面場面で出て、たくさんのことをそこに足して覚えていく感じがあったの。今もそういうことがあるよ。他の言葉を覚える時もそう。」

 なかなか怖い事言いだしたぞと興味深く私は娘の話を聞き続けた。

 

「でね、途中で思うの。これ英語にしちゃっていいのかな?日本語と両方記録しなくていいのかな?日本語忘れちゃう、分からなくなりそうだなって。でも英語は毎日どんどん身体に入ってくるし、英語を話さないと何もできないから、記憶カードにはどんどん英語の方が増えて……その時すごく私、怖かったんだ。」

 

さらにびっくりした私が

「え?怖かったって言うのはどういうことなの?」

と聞くと、娘は

 「記憶カードが英語になることにすごく混乱したというか。だって私は日本人だし、パパとママとは日本語でお話してるし、大事な事は日本語で覚えたほうがいいはずなのに、どんどん英語が増えちゃう。日本のお友達との記憶も英語で思いだす方が楽になってくる。最初自分の話す日本語も、誰かが話す英語もわからなくて怖かったのと、そして日本語で分かってたことを忘れていくのが怖いのとが、同時起こってすごく怖かった。」

 

と言った。聞いていた私はなかなかの内容を受け止めるのにやっとで

 「そっか…。」

となんとか言葉にした。すると娘はこう続けた。

 

「ママの頭の中にはさ、日本語の記憶カードがたくさんあってさ、そこに私より書き変えたくないたくさんの思い出があると思うんだよ。」

 「え?」

 「私はママみたいに日本に長く暮らしてないから、すごく怖かったけど、書き換える思い出が少ないし、残しておきたい記憶もママみたいにいっぱい持ってない。だから今は英語で話すことやマレーシアに暮らすことの方が自分に合っているとも思える。そんな私でも怖かったから、ママが英語を使うことは、もっと怖いんじゃないかって思ったんだ。」

 

「誰でも英語をマスターするには記憶カードが一回赤ちゃんに戻らないといけなくなる。赤ちゃんってみんな誰かに守ってもらわないと生きられないじゃん。私は子どもだからみんなが守ってくれたけど、ママは大人だから中身が赤ちゃんって誰も思わない、だから誰にも守ってもらえなくて怖いよね。それにママは日本語がたくさん分かる分、自分の言いたいことが相手に伝わらなかったことが分かるから余計に怖いだろうなと思う。」

 

そして娘は私の顔を見直していった。

 「だから今は私、ママ、すごいな、勇気あるなて思ってるよ。」

 

あまりにすごいことを言われすぎて、頭が追い付かなかった。なんだか涙が出そうになるのを堪えて先に

 「ありがとう。」

と言うのが精一杯だった。娘はそんな私を少し不思議そうに見つめながら

 ”welcome”

と言った。

 

 マレーシアに来た理由はたくさんあるけれど、娘に多国籍な教育を受けさせたいというのもその1つだった。ただどんなに良かれと親がとった選択も子どもにとっては親のエゴであり、娘に年齢以上の無理や別れを経験させたことは事実だった。英語、マレー語、中国語、出来ない自分に憤り、嫌だと自ら破ってしまった保育園の宿題を自分でテープで張ってなおし、泣きながらそれでも宿題を解く娘を見て、親である私の心の方が先に折れそうになったりもした。

 インターに入ってからは私の英語力が娘の英語力に追い付かず理解してあげられないことが増え、娘が私に話すことを諦めた時もあった。私が言葉を理解できないのを利用して娘が嘘をついたことも。それがどれだけ人を傷つけるか、私が娘に泣きながら話した時もあった。

 

 娘はいつの間に、親を思いやる言葉をかけてくれるまでに成長していたのだろう。日本語の記憶カード、消したくないことがまた増えたよと思った。

 

 成長し、親の先行く娘にどうしても聞きたくなった。

「どうやって、あなたは英語が怖くなくなったの?」

すると娘は考えながらこう答えた。

 

「何言ってるか分からなくても、トイレに連れてってくれたり、ご飯を一緒に食べてくれたり、何回も同じ言葉を言ってくれたり、笑って手を繋いでくれたり、言葉を話すより先に、みんなを信じられて、大丈夫って思えたからじゃないかな、多分。」

「そうしたら言葉が頭より先に心に入るようになったんだよ。言葉が心を通ると怖くなくるんだと思う。」

 

言葉は頭より心を通す方が先。」

 

なんてすごい言葉なんだろう。最近の私はどうしても知識を詰め込まねばと躍起になっていた。本末転倒とはこのことだ。なんのために言葉を学びたかったのか。娘のことをもっと理解したい。大切な人達をもっと理解したい。大切にしたい。信じたい。そうやって生きていきたい。言葉は頭より心を通す方が先。娘の言葉は私を言語を学ぶことの原点に引き戻してくれた。

 そして私には日本の、日本語での忘れたくない、忘れられない大切なことがたくさんある。だから英語に時間はかかるし、怖くて当たり前。そう思ったらなんだか気が楽になった。

 確かにマレーシアで大切な人、大切なことが増える度に、私の英語を学びたいモチベーションは上がってきた。私の中にある日本語で作られた大切な思い出や出来事を、そのうちもっと私は英語で伝えたくなるだろう。だから大丈夫、とも思えた。

 

 その日から私は話したいと思う事を一定時間、娘に英語で話すようになった。確かに怖いと思わないから間違えても平気だし、何より娘は私が英語で話すことを喜んでくれている。それが私もうれしい。


 また日本語とは違った関係性で娘と心を通わせられるようになった気もする。話したい、伝えたいと心から思っているからこそ、調べて使った英語や娘の使った英語がすんなりと私の脳に入っていく感覚を感じ、これが言葉が心に入るってことかとも実感できた。

 そんなことを毎日繰り返していたある日、いつもレッスンをしてくれる英語のオンラインの先生がこう私に言った。

”Wow!

Keiko, you clear own hurdle!”

 

 さて明日も 娘とたくさん話すために、これから単語を調べるつもり。

明日はまず、こう話そうと思う。

”I have great respect for you!

Today I want to tell you about your many charms!”